スポンサーサイト
--.--.--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
// --:-- // スポンサー広告
 旅先からの便り
2014.08.17(Sun)
140817写真と手紙

2014/08/17 16:39 Higashiosaka, Osaka

朝寝をして目を覚ましたら、友人からメールが届いていた。
一通はイタリア、一通は沖縄から。

嬉しいのは、それぞれのメールに写真が添えてあること。
イタリアからは美しい街並み、沖縄からは珍しい御朱印。
リアルタイムで遠くにいる人の見たもののお裾分けをもらえるのは、いまだになんだか凄いことのような気がしていちいち驚いてしまう。

子供の時分、初めて受け取ったエアメールは、当時インドに赴任していた叔父からのもの。青と赤と白の縞々に縁取られた特別の封筒や薄い水色の便箋、見慣れない切手、ローマ字で書かれた宛名。そういうものにどきどきして封を切った。それなのに、手紙に何が書いてあったかはすっかり忘れてしまった。しかも憶えているのは、叔父への返信に光GENJIの紹介文(イラスト付)を書いたこと。我がことながら呆れるばかり。だって、当時すでにわたしは徳永英明ファンで、光GENJI(内海くん)とはお別れしていたのですから。身の回りの流行を伝えようとしたのでしょうか。自分でも分かりません。

その後受け取るエアメールは、大学生になって以降、海外へ旅をした友人たちが旅先から送ってくれたもの。
たいていは訪ねた街の絵葉書が手許に届いた。葉書なので、限られた紙面に綴られた短い言葉に余計にじーんとしたりした。まともな海外旅行をしたことのないわたしにとって、この人はこういうものを見たのかと想像するのも楽しかった。

考えてみると、日本国内の旅先から便りを受け取ることはほとんどなかった。
外国への旅ほどに「非日常」を感じにくいからか。

携帯電話のカメラや電子メールの機能の充実で、旅先の写真を「手紙」とともに届けやすくなったおかけで、メールで旅の便りを受け取ることが増えた。これはこれで楽しい。まさに今その人が目にしたものを見られるというのは、その人の視点が垣間見えるから。

しかも、それはSNSのアルバムで公開するのとは違い、相手に届けることを考えて選ばれたもの。

今、自分の見聞きしたものや考えたことを表現する手段や場はいくらでもある。
でも、それが誰かが受け取って「じーんとする」ものになっているかといえば、そういうものはほんの一握りなのではないかと思う。一握りもあるかどうか。

友人からのメールにじーんとした朝、文章にしても写真にしても、それは確かな宛先のある、旅先からの便りのようであるべきなのだろうななんてことを考えたのでした。

// 23:59 // 空の写真 // Trackback(0) // Comment(0)
<<27でも、21でもなく、25 | ホーム | ホームにて>>
コメント
 コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

 トラックバック
トラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| Home |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。